イスラエル生活体験記vol.4
イスラエル生体験記vol.4
キブツ編
キブツという言葉を耳にした人もいるかと思います。
キブツとは、今でいう、「共同生活をしている一つの村」と言う表現が一番適切ではないかと思います。
そもそも、二十世紀初頭に、ユダヤ民族が徐々にこのパレスチナの地、アラブの国々の真っ只中に続々と集まってきました。
これをユダヤでは「シオニズム運動」と言いました。
やがて1948年5月に建国宣言をし、四度に渡る中東戦争を通して国土を広げていき、1978年9月にキャンプデービッド合意(アメリカ仲裁のもと、イスラエルとエジプトの平和条約)し、1979年3月にシナイ半島を返還し現在に至り、中東の火種はなんとかくすぶる程度で治まっています。
その原動力となったのは、キブツの存在でした。
イスラエルの軍隊は「軍隊キブツ」として最前線の基地を築き、アラブ諸国の攻撃から守りつつ、攻撃面にも威力を発揮して敵が撤退したところにすぐに「軍隊キブツ」を築き、また、敵が撤退したら「軍隊キブツ」。
その繰り返しによって領土を広げていったのでした。
後方に残った「軍隊キブツ」が去ったあとに民間の人たちがパーソナル軍隊として生活手段(農業主体)を保ちつつ、軍隊キブツの後方支援をしつつ、キブツ共同体を運営していきました。
このシステムは、アラブ諸国に対して死角をなくすため、前線において、後方から、あるいは側方からの攻撃に気をとられる事なく、磐石な戦いを、アメリカから流れてくる最新兵器をくしし、攻めて領土を広げる事ができました。
イスラエルの周囲のアラブ各国は太刀打ちする事ができず、撤退を余儀なくされたのです。
多くの国々から来ているボランティアの青年たちは、これらのキブツの中で働き、学んでいます。
私がいたキブツでは、りんご、グレープフルーツ、麦、コットンなどの農作物と、家具を工場で材木から切断、加工までしていました。
仕事時間は、朝の六時半~昼の三時半までで終わり。
後は、自由時間。
私は、そのキブツ内にあるヘブライ語学校で学んでいました。
朝七時~十二時までが学びの週は、昼一時~三時半までが仕事。
次の週は、朝六時半~十二時までが仕事で、昼一時~四時までが学びというサイクルで、三ヶ月間で卒業となります。
これでひと通りのヘブライ語での日常会話が出来るようになります。
この「キブツ」の中は、とても安全で、自由な時間が保たれ、村や、町をあげたお祭り、様々なレクリエーションも多くもたれています。
次回は、最終章。
イスラエル国内でもたれている各種のお祭りと、そこでの楽しみの事についてのべてみます。
(Byイスラエル居住を経験した亀山社中の通販店店長イノウエ)